丘に行きましょう(改訂版)

【ゴールデンウィーク直前】

 初出:2001/05/16
 改訂:2001/11/18

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 そろそろ春らしさも抜け、全てが夏へと向かい始める四月の終わり。校門からは、連休の予定を楽しそうに話しながら生徒達が散って行く。俺達五人もその中の一グループだ。
「美汐ーっ、また明日ねーっ」
 真琴が勢いよく手を振ると、しっぽも一緒に左右に揺れる。その様子をおかしく思いながら、俺も三人に声をかけた。
「名雪、あゆ。天野に迷惑かけないようにするんだぞ」
「祐一君、ひどいよっ」
「そうだよ祐一。ちょっと一緒にペットショップに行くだけだよ?」
 案の定、二人とも抗議の声を上げる。
 明日みんなで行く遊園地にぴろも連れて行きたい、という美汐のアイデア。移動用のかごが要るよ、と三人で買いにいくこと決まったのはついさっきのことだ。
「とはいってもなー」
「大丈夫ですよ」
「美汐、がんばってねっ」
 最後の望みを天野に託し、俺と真琴は家に向かって歩き出す。右に並んだ真琴が、俺の顔を見上げながら声をかけてきた。
「真琴も行った方がよかったかなぁ」
「うーん」
 騒ぎの元が増えるだけだ、という科白を寸前で押しとどめ、代わりに現実を突きつける。
「今日は一緒に宿題を片づけるんじゃなかったのか?」
「あぅーっ」
 とたんに顔がゆがみ、耳もペタッと伏せられる。
 案の定、というかなんというか、成績はあんまりいい方ではないらしい。義務教育も受けていないことを考えると、よくやってるのかもしれないけど。
「今日中に宿題を全部片づければ、後の休みは気兼ねなく楽しめるじゃないか」
「そだけど……」
 ぶつぶつ言いながら道端の石ころを蹴飛ばす真琴。そんな様子に、ついつい笑いが洩れてしまう。
「……なに笑ってるのよ」
「なんでもないぞ」
 慌てて真面目な顔をしてみせる……が手遅れ。狐の耳がしっかり俺の方を向いている。
「嘘っ。真琴の方見て笑ってたーっ」
 そういうなり飛びかかってくる。けれど俺は落ち着いて右腕を伸ばした。
 ぴた。
「あぅーっ、届かないーっ!」
「お前、全然進歩しないなー」
 ぶんぶんと腕を振り回す真琴の額を右手で押さえながら、やれやれとため息を吐く。
「あぅーっ……」
 今度は涙目になっている。
 まったく、見てると飽きないというか、目を離せないというか、騒がしくないと逆に落ち着かないと言うか……。
 俺は右手を頭の上に動かすと、ポンポンと撫でてやった。
「……なによぅ……」
 上目遣いに俺を睨む真琴。
「ほら、コンビニ寄って、急いで帰ろうぜ」
「コンビニー?」
 声は怒った風を装ってるけど……。
 ぱたぱたと、期待に満ちたようにしっぽが振られている。
「肉まん。要らないのか?」
「……もちろん、祐一のおごりでしょ?」
「しょうがないな、半分ずつだぞ」
「わ〜いっ、祐一と一緒に肉まん〜」
 ……泣いた狐がもう笑った、か。すっかり笑顔になって再び俺の隣を歩く真琴を見ながら、そんなことを考えていた。

「何? このトラック……」
「家具屋のトラックだなぁ」
 大きなトラックが二台。肉まんを片手に家に帰った俺たちを出迎えたのは、そんな場違いなものだった。あまり広くない家の前の道を半分塞いでしまっている。手前に停まった一台の脇に書かれた名前は、駅前にある店のもの。
「ベッド、来るの明日って言ってたよねぇ……」
 二人が一緒の部屋に住むようになってから、もう二週間。まぁそれについては色々あったんだけど……。
 ベッドもダブルサイズのがとうとう明日届くという話だった。正直、高校生なのにいいのか? って気もするけど……言い出したのは秋子さんだし。
 俺たちは首を傾けつつ、もう一台を確認する。
「こっちは別の店のだなぁ」
「こーむてんー? このうるさいのと関係あるの?」
 真琴に言われて気がついた。そういえば何かを切ったりものを打ち付けたりする音が聞こえている。俺たちの家の方から。
「ただいまーっ」
「祐一さん、真琴、お帰りなさい」
 玄関を開けると、木を切ったり、釘を打ち付けたりするような音が大きく聞こえてくる。そんな喧噪の中、秋子さんが少し困った顔で俺たちを出迎えてくれた。
「あの……これって……」
「ええ、ごめんなさい。連休前で、予定が狂っているみたいなのよ」
「でも早くなるなんてひどいわよ」
「みんな、休みをたくさん取りたいんだろうなぁ」
 騒音に負けないよう、少し大きな声で話していると──。
 ドタンっ!
 突然ひときわ大きな音が響きわたった。
「あぅっ! ……はぅー、びっくりしたよぅ」
 見ると真琴が、狐耳を手で覆って床にしゃがみ込んでいた。目の端に涙まで浮かべている。
「お、おい大丈夫か?」
「ちょ、ちょっとびっくりしただけよぅ」
 そういうと、埃を払いつつ立ち上がった。が、随分と身構えてしまっている。心なしか、しっぽの毛も逆立ってるようだ。感覚が鋭い分、大きな音とかには弱いのかもしれない。
「でもなんで、ベッドを入れるだけでこんな大事になってるんです?」
 自分の頭上を指さし、秋子さんにさっきからの疑問を聞いてみる。この音、まるで部屋を改造しているみたいだ。秋子さんはにっこりと笑うと、解説してくれた。
「やっぱり防音もちゃんとやっておいた方がいいと思って」
「は、はぁ」
「その方が夜も気兼ねないかと思って」
 ぐあ。まったく秋子さん、さりげなく凄いことを……。ま、まぁ心当たりがないわけでは決してないんだけど。
「えーと……それでこれ、いつ終わるんです?」
「夜までかかるそうみたいなの。少し外に出てきたらどうかしら」
「じゃあ夕飯のおかずでも買ってきますよ」
「あ、それは名雪に頼んであるのよ」
「じゃあ……どうしよう……」
 いまさら名雪たちの行ってるペットショップに行くのも危険な気がした。というか今頃、猫で大騒ぎだろう。
 すると今まで黙っていた真琴が、「はーい」と手を挙げた。
「あのね、真琴行きたいところがあるの」
「肉まん……はあるから……本屋で漫画か?」
「違うわよっ。えとね、丘に行きたいの」
「丘って……」
「うん、そう」
 真琴からそんなことを言い出されるとは驚いた。
 そういえばあの丘……ものみの丘に行くのはどれだけぶりだろう。真琴が還ってくる前は、一週間に一度は行ってたんだけど……。
「そりゃかまわないけど……でもどうして?」
「春になった丘、って見たことないでしょ。だからよ」
「いや、別に見たことないわけじゃないけど……」
 ようやく最近思い出してきたことがある。ガキの頃休みになると俺はこの家に来ていた。もちろん春休みも。あの丘はそのころの遊び場だったのだ。そしてある時一匹の狐と──。
「ふふふ、祐一さん、真琴はね」
「あ、秋子さんっ、言わないでーっ」
「真琴はね、祐一さんと一緒に見たいのよ」
「あぅーっ、秋子さんーっ」
 顔を真っ赤にして怒る真琴。いつもの俺だったらからかっていたかもしれない。
 でも……。
「そうか、奇遇だな。俺も真琴と一緒に行ってみたいと思ってたところなんだ」
「えっ?」
「丘。行くんだろ?」
「うんっ!」
 大きく頷くと嬉しそうに笑う真琴。秋子さんもちょっと驚いた様子だったが、笑顔で「良かったわね」と真琴に声をかけている。
「じゃあちょっと行って来ます」
「いってきまーす、────」
 ドタンっ!
 またひときわ大きな音が二階から響き、真琴の後半の言葉をかき消す。
「いってらっしゃい」
 だけど秋子さんには聞こえたようだ。一際嬉しそうな笑顔で、俺たちを送り出してくれた。
 後ろ手に玄関を閉め、真琴と並び歩き出す。
「なぁ、なんて言ったんだ?」
「え? 何?」
「さっき。秋子さんになんて言ったんだ?」
「あぅー……秘密っ」
 なぜか真琴は顔を赤く染め、そのまま俯いてしまった。
「秘密……って、そんなにハズカシいことでも言ったのかよ」
「ち、違うわよーっ。えと……」
「…………」
「……えーと」
「……えーと?」
「あぅーっ、やっぱり秘密っ」
 やれやれ。どうも真琴は頑固な面がある。
 そういえば昔もそうだったな。イタズラを俺に仕掛けてばれそうになっても、絶対に自分がやったって言わなかったし。
「まあ言いたくないならいいけどな」
「うん……」
 結構抜けている真琴のことだ、そのうち自分からボロをだすだろう。
 そのまましばらく無言で歩を進める。まだ日は十分に高く、春から夏へと向かいつつあることを実感させられた。たまにそよぐ穏やかな南風の中、真琴と肩を並べものみの丘へと向かう。
 こんなのもいいよなぁ。ちょっと静かすぎるけど。そう思っていると、つつ、と袖を引かれた。
「祐一っ」
「なんだ? さっきの、言いたくなったのか?」
「ううん」
「じゃあ……肉まんか? それなら丘に着いてからだぞ」
「ちーがーうーっ」
 力一杯首を横に振る真琴。
「じゃあ何だよ」
「手、つなご?」
「え?」
 思わず思考が停止する。そんな俺の様子に気づかず、真琴はその言葉を繰り返す。
「祐一と、手をつなぎたいの」
 …………。
 そんな制服で手を繋いで歩くなんて、『いかにも』って感じが……。
「? どしたの?」
 一方真琴は全然気にしてないようだ。期待の光を目に輝かせ、俺の顔を見上げる。
 べ、別に真琴が気にしてないんなら、しかたがないよな、うん。人もそんなにいないし。
 俺は肉まんを懐にしまうと、半ばやけになって真琴の手を握りしめた。
「いたーいっ」
「わ、悪いっ」
 慌てて力を緩め、改めて手をつなぐ。
 ……気持ちいい……。
 柔らかくて、しっとりとして、でもすべすべしてて……。なんでだろう。いつも普通に触ったりしているのに。
「祐一の手、大きいね」
 などといいつつ真琴は俺の指の間に自分の指を互いに滑り込ませた。そのまま俺の手と一緒にぶんぶん振り回す。
「あははっ、これでそう簡単には外れないわよ?」
「外さないって」
「だって祐一、こういうの嫌いそうなんだもん」
「そ、そんなことないぞ」
 真琴の体温を手のひらで感じながら答える。今この時、それは確かに真実だ。ただ今まで手をつなぐ機会がなかっただけで。
 ……いや。そんなことはない。
 前に一度こうやって手をつないで歩いた。そう、あれは……。
「祐一、祐一!」
「な、なんだ」
「道、こっちっ」
 不意に思考の谷間から引き上げられる。周りを見回すと……確かにこっちの商店街を通った方が近道だ。真琴に手を引かれて、危うく通り過ぎるところだった十字路を曲がる。
 ……商店街……?
「ぐあ……」
「祐一どしたのよぅ。さっきから何かヘンよ?」
「い、いや、何でもないぞ。うん」
 とはいうものの……。
 すれ違う人々が、井戸端会議に興じるおばさん達が、プリント機に並ぶ女の子達が、その他大勢のみんなが俺たちのことを注目しているような気がする。手を繋いでいるだけなのに、やけに気恥ずかしい。
「あははっ」
 そんな俺の内心も知らず、真琴は嬉しそうにスキップを踏み、俺をひっぱる。笑い顔を見てると、俺も心が軽くなってくるようだ。
 まぁ……いいか。
「祐一ーっ」
「……今度はなんだっ?」
「ほらあれっ、香里と栞」
 俺たちの前方およそ百メートル。仲よさげに歩く一組の姉妹がいた。共に抱えている大荷物は、明日遊園地に行くための服やお弁当の食材なのだろう。笑顔を浮かべながら会話をする二人を俺たちは、街灯の影からそっと見送った。
 そう、街灯の影から。
「ぁ〜ぅ〜!」
 ……真琴は口を塞がれてじたばた騒いでいたが。二人の姿が見えなくなってから、俺は口に当てていた手を外してやった。
「はぁー……。もーっ、何するのよぅっ!」
 ……二人に見られるのが恥ずかしかったから、とは言えないよなぁ。
「二人の邪魔したら悪いじゃないか」
「えーっ、そうなの?」
「そうなんだよっ。ほら、急ぐぞっ」
 他の知り合いに出会わないように、俺は道を急ぐことにした。繋いだままの真琴の手を引っ張り走り出す。
「あぅーっ、急に引っ張らないでよーっ」
 そういいつつも一瞬で横に並ぶと、逆に俺のことを引っ張って走り始めた。
「ほら、早く早くっ」
「わっ、待てって」
 俺はしっかりと真琴の手を握り直すと、一緒に走り始めた──。

 木々の隙間を抜けると、突然開けた空間が目の前に広がる。
 ものみの丘──。様々な伝承があるこの丘は、子供の頃の遊び場だった。
 汗ばんだ額を柔らかな風が優しく撫でていく。 
「いい気持ちーっ」
 真琴は両手を広げると、その風を全身で感じるようにパタパタと走り出す。
「わーいっ」
 開けたところまで走ると、バレリーナのようにくるっと一回転。制服の裾が際どく舞い上がり、白い太股が一瞬露わになる。
 ……月明かりの中で見るのもいいけど、日の下で見るのもいいなぁ。
 ふといつか見た、月明かりの中での姿を思い起こす。その後行われたことも──。
「……あれ? 真琴?」
 気がつくと真琴がいない。ちょっと目を離しただけなのに。
「おーい、真琴ーっ」
 返事がない。聞こえるのは風に吹かれた草がたてる音だけ。
 どこに行った? まさか倒れたとか?
 あわてて真琴がいたところまで駆け寄る。
 ……いない。
「真琴ーっ、どこだーっ」
 辺りを見回す。だが目にはいるのは緑の絨毯だけ。影も形もない。
 背筋に冷たい物が流れる。
「真琴っ!」
 不安感が心の中に広がり、心臓が早鐘を打ち始める。一瞬とはいえ目を離したことを悔やむ。
「真琴ーっ!」
 そうだ。この場所は──
 だがまさにその時。
「あははっ、隙ありっ!」
 背中に衝撃が走り天地がなくなる。見事なまでの不意打ち。背後から体当たりを喰らった俺は、草の上に転がされた。
「あははっ、不意打ち成功ーっ!」
 仰向けになった俺の顔を覗き込む真琴の笑顔。怒るよりも何よりも、そこに真琴がいるということに安堵する。
「は、ははは」
「あははははっ」
 草原を吹く風に二人の笑い声が混ざる。
 ひとしきり笑うと俺は上半身を起こし、懐に入れていた物体を注意深く引っ張り出した。
「どーすんだよ、これっ」
「あぅーっ、肉まん……」
「お前が突然襲いかかるからだ」
「うー、うー、うー……」
 無惨にも潰れ、具がはみ出している。倒れた時に押しつぶしたのだ。ガックリと座り込む真琴。しっぽも力無くたれている。しかし俺はその肉まんのなれの果てを、注意して二等分した。
「ほら、真琴の分だ」
「あぅー、ありがと……」
 真琴は肩を落として受け取ると、口に運ぶ。
「あ、でもまだ暖かい……」
「さすが潰れても肉まん、だな」
「あぅー、なんか違うしそんなの嫌よぅ」
 そんなことを言いながら、あっと言う間に食べ終わる。
「もっと買ってくればよかったなぁ」
 特にすることも思いつかず、パタっと仰向けに寝転がった。真琴も俺の隣で横になる。
「わぁ、きれい……」
 一面に広がる青空。所々に残る白い雲とのコントラストがまた見事だ。けど……なんだろう。こんな空を見ていても、妙に心が落ち着かない。
 真琴の姿を見失ったから? でもなんでそれだけでこんなにも……?
「あっ、あの雲、肉まんみたい」
 真琴の声につられ、天高く指さす先に目をやる。
「……単なる丸い雲じゃないか」
「いーのっ、食べたいんだからっ」
「じゃあ隣の雲は、それを食べようとしてる真琴だな」
「あぅーっ、真琴あんなに太ってないもんっ」
「いや、今の勢いで食べてるときっとそのうち……」
 いつものたわいもないやり取り。横目でチラッと見ると、これまたいつも通りころころと変わる表情。その様子に心が和む。
「あぅーっ、お腹空いたーっ」
「じゃあもう帰るか?」
「だめーっ」
「どうして」
「夕陽、見るんだもん。この丘、夕陽きれいなんだからぁ」
「知ってるよ。だって……」
 ……言葉に詰まる。
 だって……? 俺は何を言おうとしたんだ?
 ……出てこない。
 不思議そうな顔で俺を見る真琴。
「……だって真琴が綺麗だっていうんだからな」
「あぅー、何よそれぇ」
「……で、いつから夕陽は見れるんだ?」
 無理やり話を逸らす。
「うん……ほら、もう向こうの方、赤くなってきた」
 なるほど、ついさっきまで青かった空も、今では綺麗なグラデーションになっている。赤くなっている先を見たくて身体を起こすと、真琴も寄り添ってきた。
「あははっ、らくちんらくちん」
 そういいつつ俺の胸にもたれ掛かってくる。狐の耳がちょうど首筋に触れてくすぐったい。
 そうこうしているうちに、辺りが赤く染まり始める。
 それに従い……なぜだろう、鼓動が早くなる。息が苦しくなる。
「祐一、どうかしたの?」
「……いや、何でもないぞ」
 辛うじて普通を装う。
「ほらっ、真っ赤な夕陽ー」
「そうだな……」
 夕日が真琴の顔を赤く照らし出す。あの日のように。
 …………。
 そうか……。
 ようやくわかった。この焦燥感の正体が。
 いや、気がついていたのだ。気づかない振りをしていたのだ。
 あの時のことは思い出したくなかったから。まだ心の傷痕は癒えていないのだから。
 あの日も秋子さんが送り出してくれた。
 あの日も手をつないで真琴と歩いた。
 あの日も一緒に肉まんを食べた。
 あの日も赤い夕焼けだった。
 あの……真琴が消えたあの日も……。
「祐一?」
 気がつくと俺は真琴のことを抱きしめていた。
「あぅーっ、祐一ー、苦しいよぅ」
 言われて俺は少しだけ腕の力を抜く。その代わり、顔を真琴の髪の毛に埋めた。真琴の匂いがする。暖かい匂い。
「祐一……? どしたのよぅ……」
「…………」
 言葉は……出せない。
「あぅーっ、祐一ーっ」
「真琴……」
 辛うじて絞り出す、老人のようにしゃがれた声。
「……なに?」
「もう……もうどこにも……行かないでくれよな」
「…………」
「もう……離れたり……しないでくれよな」
「…………」
「もう……二度と……」
 それが限界だった。俺は目を閉じ、再び真琴の髪に顔を埋める。
「……うん」
 頷く気配が伝わってくる。
「真琴もう、どこへも行かない」
 声が直接響く。身体へと染み入るように。
「ずっと祐一と一緒にいる」
 だがその言葉とは逆にスッと身体が離れ、あわてて目を開ける。
「だから……」
 すぐ目の前に……真琴の顔。
 笑っているような……泣いているような……。
「祐一も真琴のこと、離さないで」
 俺は頷くと、真琴の背中にゆっくりと手を回す。
「真琴とずっと一緒にいて」
 そういうと真琴は目を閉じてさらに顔を近づける。俺も目を閉じ……唇を重ねた。
 それはいつものキスとは違う……祈り……誓い……願いをかけるもの。
 もしも何らかの存在がこの丘にいるのなら。
 何らかの力がこの場にあるのなら。
 どうか俺たちを見守っていて欲しい。
 二人のこの想いがどうか成就しますように──。

 どれくらいの時間こうしていたのだろう。どちらからともなく顔を離す。
 もう夕陽もほとんど沈みかけ、闇が辺りを支配する夜の時間になろうとしている。
「さ、帰ろうか。」
 照れくささをごまかすようにわざと明るく声をかける。
「うんっ、秋子さんの夕飯、今日なんだろねっ」
 同じく明るく声を返す真琴。どちらともなく手を差し出すとしっかり繋ぎあう。
 そして家路へと歩き出した一歩目で……
「あぅーっ」
 真琴が転んだ。いや、正確に言えば転びそうになったのを俺が受け止めたんだけど。
「なんだ、お腹が空いて歩けないのか?」
「あぅー、なんか絡まったのよぅ」
 見ると確かに白い布のようなものが足にまとわりついている。何気なく拾い上げ広げると、真琴が驚きの声をあげた。
「えーっ、どうしてーっ?」
 それはレース編みされた一枚の布。
「ヴェール……? あの時の?」
 だがあれは風に飛ばされたはずだ。単なる偶然だろう。シワもそんなにないし、なによりまだ白い。
 けれど偶然にしてはできすぎじゃないか。
「ねぇ、ちょっと貸して」
「お、おい」
 真琴はそれを自分の頭にかぶると、にっこりと笑って見せた。
「ねぇ、似合う?」
 赤い夕陽に照らし出されるその姿に俺は言葉を失った。
 西風になびく制服の裾、風に流れるしっぽ、そしてはためくヴェール。
 だがヴェールはしっかりと指で押さえられ、飛び去ることはない。そうだ。もう飛び去ることはないのだ。
 もうあの時とは違うのだから。
「どしたの、祐一?」
「い、いや、なんでもないぞ」
「?」
 俺は腕を伸ばすと、ヴェールそっと指をかけた。
「あ……」
 真琴と一緒に優しく、しっかりとヴェールを握る。まるで、真琴との未来を共に掴んでいるかのように。
「じゃあ、帰るか」
「うんっ!」
 そして二人で歩き出す。未来へと──。


−終−


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