天使の夢(改訂版)

【金曜日・二】

 初出:1999/09/11 Key SS掲示板 No.15960 & No.15961 & No.15962
 改訂:2001/11/18

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「祐一、今日の放課後、わたしに付き合ってくれないかな」
 水瀬家の朝食の席。珍しく俺よりも早く起きていた名雪が、コーヒーを飲みながら、そんなことを言ってきた。パンを頬張っていた俺より早く、真琴が声を上げる。
「えー、真琴は?」
「もちろん、真琴もだよ」
 嫌だといってもつれていくよ、と笑って付け足す。俺はようやっと口の中のパンを飲み込み、答えた。
「わざわざ今から言うってことは、よっぽど重要な用事なのか?」
「うん、重要だよ。とっても」
「わかった。何か用意する物とかあるのか?」
「えーと……ううん、なんでもない」
 十秒近く口の中でもぞもぞ言ってから、この答え。
「なんだよ、気になるじゃないか」
「今言ってもしょうがないことに、気がついたんだよ」
「あぅー、もっと気になるよぅ」
 文句をいう俺と真琴を見て、優しげに微笑む。
「きっと、二人が支え合えば大丈夫だよ」
 ぐあ、朝っぱらから恥ずかしいことを……。ちらっと真琴の顔を見ると、赤くなってる。……きっと俺も同じなんだろうな。
「あらあら、朝から楽しそうね」
 そういいながら、秋子さんも席につく。本当に嬉しそうな顔をしてるな、秋子さん。
「じゃあ、放課後に校門のところで待ち合わせだよ」
 そう締めくくり、席を立つ。慌てて時計を見ると、なるほど、時間が少なくなりつつある。せっかく名雪が早く起きてるんだから、歩いて行きたい。
「いってきます〜」
「いってきます」
「いってらっしゃい、二人とも」
「いってらっしゃーい、祐一っ、名雪っ」
 やっと当たり前になってきた、四人の朝の挨拶。そして玄関をでる。一抹の疑問と共に。名雪の用事ってなんだろう……?

 ようやく六時間目の終わりを示すチャイムが鳴り響く。でも、今日習ったことは結局何一つ頭に入っていない。放課後の用件が気になって授業に集中できなかったからだ。
 名雪に聞いても『今話しちゃ意味がないんだよ』と教えてくれないし。
「祐一っ、放課後だよ」
「ああ、そうだな」
「朝の約束……憶えてる?」
「そのせいで、今日の授業は台無しだ」
「わたし、大丈夫だったよ」
「……名雪、今日も寝てたじゃないか」
「えーと……いつも通りだから大丈夫なんだよ」
 相変わらず、名雪と会話していると変な方向に話が進む。
「ふふふ、相変わらず仲がいいのね」
「この会話を聞いて、どうしてそういう台詞がでるんだ、香里」
「言葉通りよ」
 にっこりと笑う。香里も、栞が助かってからずいぶんと変わったなぁ……。
 ちなみに北川は今日も学校を休んでいる。おそらく、富良野をさまよってることだろう。
「ごめんね香里、今日は栞ちゃんのお見舞いに行けないよ」
「そうなの、残念だわ。明日退院だから、色々と運ぶ物があったのに……」
 ぶっそうな話になりかけたのを遮る。
「へぇ、もう退院できるんだ。よかったなぁ」
「そうなのよ。何でもあの病院は、その方面では経験が深いそうなの。七年間眠り続けた人の面倒を見たことも、あったそうよ」
「七年か。そりゃすごいな」
 ……七年……なんか引っかかる。俺が七年前からこの町に来なくなったから……数字が付合するから……なのだろうか。
「ほら、祐一いくよ。真琴が校門で待ちくたびれてるよ」
「あ、ああ。香里すまんな。栞によろしくな」
 首をひねりながらも、名雪の後に続く。香里の話に名雪が妙に慌てた様子だったことも気がつかずに……。

「祐一っ、名雪っ、おかえりーっ!」
 案の定、真琴は校門ところで退屈そうにしていた。俺達の姿を認めると、嬉しそうにしっぽを振りながら走ってくる。
「ぐあ、重いって」
 そのまま俺の腕にぶら下がる。……まぁ抱きつかれるより何倍かはマシか。
「で、どこに行くんだ?」
「森だよ」
「森……なんてあるの? 見たことないよ?」
「あるよ。祐一も知ってるはずだよ」
 そのまま、歩き出す。俺と真琴も名雪の後を慌てて追う。
「俺も知ってるはず……って言われてもなぁ」
「行けばわかるよ、きっと」
 そのまま通学路をさかのぼり、途中で左に折れる。
「ほら、向こうの方に木があるのが見えるよ」
「うーんと……あ、ホントだっ! でもちょっと遠いね」
「結構歩くなぁ……ホントに行かなきゃ駄目なのか?」
 俺の文句に名雪は珍しく真面目な顔で答えた。
「駄目だよ……重要なことなんだもん」
 そしてまた行軍が続く。
「あぅーっ、真琴疲れたー」
「ほら、頑張れ、あと少しだ」
「着いたよ〜」
 その場所は、街の外れにあった。鬱蒼と茂る、森の入り口。木と木の間に、子供が一人やっと通れるような隙間がある
「で、どうするんだ」
「この中に入るんだよ」
「えー、つっかえちゃうよぉ」
「でもこの中なんだよ、目的地は。わたしも行ったことないけど」
「おいおい、そんなんで大丈夫なのかよ」
「わたしはなくても、祐一はあるはずだよ、行ったこと」
「おいおい、そんなこと……」
 ない、と言おうとした俺の頭に、何かが走った。慌てて振り返る。あれ……?
「……ある……この風景に……見覚えが……ある」
 ほらね、としたり顔の名雪。
「祐一は来たことがあるんだよ。七年前に」
 七年前……七年前に……俺はここに来たことが……ある?
 気がつくと不安そうに真琴が俺のことを見ていた。大丈夫だ、といいつつ頭をポンポンと叩いてやる。
「じゃあ行くよー」
 宣言してその小径に一歩を踏み出す名雪。俺達もその後に続いた。
 道なき道──。そんな言葉が一番しっくりとくる。
「あぅーっ、ちょっと、待って、引っかかるよぉ」
 後ろからそんな声が聞こえてくる。苦笑して、狐の耳に引っかかっていた木の枝を取ってやる。
「あぅ、ありがと」
「ほら、背中にくっついてろ。そうすりゃ、何も引っかからないだろ」
「うんっ!」
 真琴をかばいながら歩き出す。しばらくは、みんな無言だった。ただ黙々と、張り出した枝をかき分けながら道を進む。
 不意に名雪が、こちらを振り向かずに話しかけてきた。
「祐一、昔のこと思い出した?」
 前にも聞かれたこと。一応は気にしている。
「ああ、それなりにな」
「じゃあ……七年前のことは?」
「……いや……全然……ほとんど思い出してない」
 七年前の冬……俺がこの町に来なくなった冬……。一体何があったのか、まったく思い出せない。……いや、少しだけ思い出したことがある。
「唯一思い出せたのは、あゆのことだな」
「あゆちゃんのこと?」
「あゆって……誰?」
 そうか、真琴はあゆには会ったことなかったよな。……あれ? 名雪は会ったことあるんだっけ?
「七年前に商店街で出会った、変な女の子のことだ」
「女の子に変はひどいよ、祐一」
「でも自分で言ったんだぜ。『変な女の子に会ったことを忘れないでください』って」
「それで祐一、あゆとはどうしたの?」
「この街に来てすぐの頃に、再会したよ」
「へぇー、真琴と一緒だね」
 そういって嬉しそうに笑う。俺も二人との再会のシーンを思い出し、笑いがこみ上げる。
「まったく……真琴は殴りかかってくるし、あゆは体当たりしてくるし……」
「あぅーっ、そんなこと思い出さないでよぉ」
「あはは……でもそういえば最近、会ってないな、あゆに」
「そう……」
 ずいぶんと素っ気ない……というか、何かを隠したような、名雪の返答。思わず問いただそうとしたとき、目的地についた。
「ここが目的地……かな」
「わぁ、きれい……」
 森の中の、ぽっかりと開けた場所……。その中央には、巨大な切り株が鎮座していた。
 ──違和感──。
 初めて見た光景のはずなのに……なぜこんなに違和感を感じるんだろう?
 そうだ……木だ。
「名雪……なんで……切り株なんだ?」
 大きな木がここにはあった……ような気がした。理由はない。だが名雪は俺の方を振り返ることもなく答える。
「切り倒されたんだよ、七年前に」
「あぅー、もったいない……大きかったんでしょ?」
「ああ、この大きさだと、十分に人が登れた──」
 人が……登る……誰が……?
 なんでこんなに……心がざわめく……?
「七年前……この木に登った子供が落ちる事故があったんだよ」
 七年前……落ちる……子供が──。
 ……誰が。
 誰が!
「その子は七年間眠ったまま過ごして……今年の一月末に亡くなったよ」
「名雪……その子の……名前は……?」
 のどが渇く。
 聞いてはいけないことを聞いてしまったような……奇妙な予感。
 名雪がこちらを振り返る。その顔に浮かぶのは──悲しみと、憐れみ。
「その子の名前は……月宮あゆ、だよ」
 不意に目に浮かぶ光景。
 木の枝の上で笑う少女……突風……揺れる体……そして──。
 広がる赤い雪。赤い光景──。
「あああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
 思い出した。思い出したよ。なんでこんな大切なことを……俺は忘れていたんだっ。
 目の前が暗くなる。体から力が抜ける。そのまま倒れかかり──誰かに支えられる。
 ……真琴? 後ろにいた真琴が、俺のこと背中から抱きしめ、支えてくれている。
「祐一っ、しっかりして!」
 その声に、その温もりに、俺はかろうじて力を取り戻す。
「真琴……」
 まだくらくらする頭を振り、意識を保つ。ともすれば叫びだしそうな気持ちを、深呼吸しておちつける。そして真琴の頭に手を置き軽く撫で、まだ不安げに俺のことを見る真琴に、なんとか大丈夫だと言葉を返す。
 そして再び名雪に対峙する。
「でも……でも俺は会ったぞ、あゆに。それも今年の一月にだ」
「うん、お母さんも会ったって言ってたよ」
「なら! なにかの間違いだ。きっとそうだ!」
「じゃあ二月に入ってから、あゆちゃんに会った?」
 最後に……あゆに最後にあったのは──。
   『祐一君』
 不意に脳裏によみがえるあゆの声。
 寂しそうな……声。
   『祐一君、あのね……。
    探し物、見つかったんだよ……。
    大切な……本当に大切な物……』
 内容に反して、悲しそうな顔。
   『あのね……。
    探していた物が見つかったから……。
    ボク、もうこの辺りには来ないと思うんだ』
 オレンジに染まる羽……力なく、揺れて……。
   『だから……祐一君とも、もうあんまり会えなくなるね……。
    ボクは、この街にいる理由がなくなっちゃったから……』
 あゆの小さな体が、赤く染まって…。
   『…ばいばい、祐一君』
 夕焼けを背景に……。
 それは……一月も終わりの出来事。
 今なら分かる……あれはお別れだったんだ……永遠の。
「あゆは……あゆは……でもならどうして……。眠っていたはずなんだろ?」
「きっと祐一がこの街に戻ってきたから……約束を……守りたかったんじゃ……ないかな」
 名雪が泣いている。瞳に涙を溜め、鼻をすすりながらも、それでも言葉をつなぐ。
「……一緒に……もう一度遊ぶ……って約束……きっと……心が……魂が……祐一のところに来たんだよ……。あゆちゃんも……祐一のこと……大好きだったん……だよ」
   『……祐一君……。
    ……また……ボクと遊んでくれる……?』
 そんな声が聞こえた気がした。不意に視界が歪む。熱い物が瞼からしたたり落ちる。
「バカ……。もう一度遊ぶなら……ちゃんと起きてこいよ……たい焼き……夢の中で食ったって、うまくないだろ……」
 真琴も俺の背中に顔を押しつけて、あぅあぅ言っている。
「真琴だけじゃないんだね……、つらい思いをしたの……。真琴は戻って来れたけど……あゆは……」
 静寂の中を泣き声だけが辺りに響く。ぐすぐすと名雪が鼻をすする音……。あぅあぅという真琴の嗚咽……。そして、うぐぅうぐぅという……。
 …………?
 誰だ? ここには三人しかいないはずなのに? 大体、うぐぅ、なんて言うのは……。
 名雪と真琴も気がついたようだ。耳を立てた真琴が、ある方向を指す。三人とも、足音を忍ばせ、そちらに向かう。その間もうぐぅうぐぅという声が聞こえてくる。
 広場の外れに、立っている一本の木。それなりに大きい木だ。人が一人隠れるには十分なくらい──。
 三人、顔を見合わせ、一斉に頷き、木の裏を覗き込む。
 そこには……一人の少女が泣いていた。赤いカチューシャに白いコート。茶色の鞄を背負い──。
「あゆ!」
 それは間違うことなく、あゆだった。
「……うぐぅ……うぐっ!」
 こちらを振り返ったあゆの顔の変化は、それこそ劇的だった。悲しみ、驚き、喜び、焦り、後悔、……そして、混乱。
 でも混乱しているのは俺も同じだ。だって名雪の話だと……もうこの世には存在しないんじゃなかったのか? 名雪は……あ、固まってる。
「えーと……」
「ごめんなさいっ!」
 突然謝ると、後ずさり──。
 羽を広げた。
 鳥のような、羽。羽毛で出来た、羽。飛ぶための、羽。
「羽、だお〜」
 名雪が固まったまま呟く。俺もさすがに固まった。一体どこから出したんだ、そんなもん。その白い羽がふわりと羽ばたくと、あゆの体は重力が無いかの様に宙に浮く。
「うぐぅ、ごめんなさいーっ」
 そう叫ぶと、上昇を始める。
「ま、待て、あゆ!」
 慌てて手を伸ばす。一瞬手があゆのブーツに触れるが──それだけ。
「待って! 上には──」
 真琴の忠告も間に合わない。
 そう、忠告。
 ゴンっ!
「うぐぅっ!」
 やっぱり……。
 ここは木の根本。真上には、枝が張りだしている。その中でも特に太い枝に頭をぶつけたようだ。そのまま落ちてくるのかと身構えたが、ふらふらと羽根のように落ちてくる。地上に足がついたところで、抱きとめた。
 ……ものの見事に、目を回しているな。
 そのまま、地面に横たえる。
「祐一……何がどうなったの?」
「俺の方が知りたいよ」
「あぅー、真琴も……」
 そうして後に残された三人は、顔を見合わせてため息をつくのであった。

 とりあえず、あゆが目をさますのを待つ間、取り戻した記憶を二人に話すことにした。もちろん、つらい……痛い話でもある。言葉に詰まる……その度に真琴が励ましてくれる。ただ……手を握ってくれるだけ。それだけで励まされる。
「あゆが木から落ちて……でも俺はこんな事を信じたくはなかった。こんなことは夢だって、思おうとした。
 そのかわり、あゆにこのカチューシャを渡したのが現実だって……。そして……現実から逃げて……この街から逃げて……記憶からも逃げて……」
 真琴から片手を離し、あゆのカチューシャを指でなぞる。実際に渡すことのなかったカチューシャ。でもあゆは、これをはめている。
「……でもボクはこれを受け取ったんだよ」
「あゆ……目が覚めたのか」
「あゆちゃん、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ、ありがとう、名雪さん」
 そのまま、カチューシャをなぞる俺の手を、両手で包み込む。
「祐一君が願ったから……夢の中で願ったから……夢の中のボクに届いたんだよ」
 そんなことがあるんだろうか。でも現実に、あゆはカチューシャを着けている。
 あゆは俺の手を握ったまま起きあがった。体の下敷きになっていた羽が、ふわりと広がる。
「ボクは待ってたんだよ、祐一君を夢の中で」
「すまん、あゆ、俺がもっと早く思いだしてれば──」
「ううん、もし思い出してたら、祐一君が壊れちゃってたよ。だからいいんだよ」
 夕方の赤い光が、あゆとその羽を縁取る。幻想的な……赤い風景。そんな中、あゆが微笑む。
「待っているとき、ずっと願ってたんだよ。祐一君に会いに行きたいって。空を飛んで、会いに行きたいって。翼があれば、飛んでいけるのにって。ずっとずっと……何日も……何年も。
 でも叶わなくて……そしてボク達は再会した……七年後の街で」
 目をつむる。その時を思い出すように。
「嬉しかったよ……本当にもう一度逢えたんだもん。もう一度たい焼き、食べれたんだもん。
 逢ったら……夢は終わっちゃうのにね」
 閉じた瞼から流れる、一筋の涙。不意に手が強く握られる。真琴が握ってくれている手。
 真琴の方を振り返ると……やはり瞳から流れる涙。
「真琴と……同じなんだね……あゆも」
 ──そうだったな。真琴も……自分の全てと引き替えに、俺に会いに来てくれたんだったな……。
 そんな真琴の様子にも気がつかず、あゆは言葉を続ける。
「ボクが大切な落とし物……記憶を見つけた時……分かったんだ。祐一君とのお別れしなくちゃならないこと」
 そしてあゆは俺に会いに来てくれた。けどあの時……俺はあゆに何も出来なかった……。
「だけど本当の夢の中に戻ったとき……ボクは気がついたんだよ。
 祐一君にお礼を言ってないこと。
 そして祐一君が助けて欲しがってるって事に」
 不意に視界が白く包まれる。
「夢の中で見えたんだ……祐一と、真琴ちゃんのこと」
 俺と真琴、二人が、あゆの羽に包まれている。
「正直羨ましかったよ。真琴ちゃんが。祐一君に愛されているのが分かったから」
 不安そうに俺の手を握る真琴。俺も真琴の肩を抱いてやる。
「でもそんな祐一君は本当に幸せそうで……。
 だから二人を助けたくて。
 助けたくって……。
 祈って……。
 一生懸命祈って……。
 そしたら……羽が貰えたんだよ。
 夢の中を飛び回ることの出来る羽を」
 小さく羽ばたくと、あゆの体がふわっと宙に浮く。俺と真琴も、引きずられるように立ち上がる。
「ボクは……天使になったんだよっ」
「夢……の中……?」
「飛び回る?」
「天使?」
 俺と真琴は顔を見合わせる。
「もしかして……今日わたしの夢の中に……来た?」
「うん……ごめんなさい、名雪さん」
「ううん、いいよ。ちょっと悲しい夢も見ちゃったけど……」
 名雪の夢の中に……来た? 俺がよほど怪訝な顔をしてたんだろう。名雪が説明してくれた。結局ここに名雪が俺達を連れてきたのは、俺の昔の出来事を夢で見たからなんだそうだ。そしてその夢を見せたのが、あゆ──。
「じゃあ、真琴や栞や佐祐理さんの夢に現れたってのも……」
「うん、ボクだよ」
「どうしてそんなことを……」
 するとあゆは恥かしそうな顔で、でもはっきりとその答えを口にする。
「大好きな祐一君に、これ以上悲しんで欲しくなかったからだよっ」
 ぐあ、正面きってそんなこと言われると、いくらあゆ相手でも照れるな……。そう思ってると、不意に真琴が俺に抱きついてくる。
「あぅーっ、真琴も祐一のこと、大好きだよ!」
 俺の方を見つめる不安な瞳。
「それで祐一は……誰が好きなの?」
 え……好きなのは……もちろん真琴で……でもあゆが嫌いってわけじゃなくて──。
 考えがまとまらない。そんな俺をよそに、すっと真琴の目の前に移動するあゆ。一瞬警戒する真琴に、腕と羽で抱きつく。パニクる真琴の耳元でささやく。
「もちろん、祐一君が一番好きなのは、真琴ちゃんのことだよ」
「あぅー、ホント?」
「もちろんだよっ。夢の中で、隠せることなんてないんだよ」
 顔を赤く染める真琴。
「だから、真琴ちゃんがどれくらい祐一君のことを好きかも知ってるよ」
 さらに真っ赤になったのは……夕日のせいではないだろうな。
 和やかな雰囲気に包まれる。そのせいだろうか。俺はその時、あゆが何を言っているかわからなかった。
「だから真琴ちゃん、祐一君のこと……よろしくねっ」
「よろしく……って?」
「ボクはもう夢の中の住人なんだよ。だから帰らなくちゃならないんだよ」
 あゆは悲しげに微笑む。
「あゆちゃん……」
「なんでだよ! こうしてここにいるじゃないか!」
「うぐぅ……ボクがここにいるのは……いれるのはあと少しなんだよ」
「そんな……」
「ボク、働かないといけないんだ。それが天使の務めだって」
「働くの?」
 名雪が首を傾げる。
「うん、みんなに夢を配るんだって。よく分からないけど……ボクには素質があるんだって。みんなに夢を見せてたからかな」
 そういって笑ってみせる。でも……不自然な笑い。
「ホントは、みんなの前に出て来るつもりはなかったんだよ。別れが……つらくなるから──」
 見つかっちゃったけどね、そういってまた笑う。不自然な笑い……泣くのを我慢しているような──。
「だから……だから──」
 不意に真琴があゆに飛びつく。
「あぅーっ、そんなの嫌だよ! まだ遊んでないよ! プリクラもとってないよ!」
「真琴ちゃん……」
「それに……お礼もいってないよっ! 真琴が祐一とここにいるのは、あゆのおかげなのにっ」
「うぐぅ……ホントは……ボクだって、ホントは……」
 そのまま二人抱き合って、泣き始める。でも俺はそんな光景を見て、逆に心が落ち着いた。……いや、無理矢理落ち着けた。俺まで泣き叫んでどうする!
 抱き合って泣いている二人を、そのまま抱きしめる。
「祐一君……」
「祐一っ」
「これで最後ってわけじゃないだろ。これで逢えないってわけじゃないだろ」
「うん……でも……でも……いつになるかわかんないよ」
 そういって俯く。俺はそんなあゆの髪を撫でるように、頭に手を置く。そして、できるだけ優しく微笑んでやる。それが……俺の出来る精一杯のことだから。
「かまわないよ。いつまでも……いつまでも待ってるからな」
「そうだよ、また今度逢った時には、みんなで遊ぼうよ」
 名雪もいつものようにあゆに笑いかける。
「だから……さよならなんて言わない。がんばってこいよ」
「あゆ……ありがと……あぅー……」
「ふぁいとっ、だよ、あゆちゃん」
「ありがとう……みんな、また、会おうねっ」
 ふわっと宙に浮き上がると、そのまま空に舞い上がる。そのまま……すっと……消えた。まるで最初から存在しなかったように。
「……羽根?」
 一枚の羽根が落ちてくる。ふわり……ふわりと……。そしてそれは狙ったかのように俺の手の中に収まる。俺はそれを、握りしめる。
 無言で。何か喋ったら……それだけで泣いてしまいそうだったから。
 そして残された三人、家路につく。何も喋らずに。

 言葉少なに夕飯と風呂を済ませ、部屋に戻る。そのままベッドに転がるが、寝るわけではない。ただ……天井をじっと見る。
 何時間そうしていただろう。
「祐一……起きてる?」
 遠慮がちにかけられる声。見ると、ドアから真琴が顔を覗かせている。真琴も風呂に入ったのか、いつものパジャマを着ている。
「ああ……」
「そっち行って、いい?」
「ああ……」
 俺の返事を聞くと、嬉しそうにとてとて部屋に入ってくる。そのままベッドに潜り込んで──。
「うわ! いつのまに」
「あぅーっ、いいっていったのにぃ」
 気がついていなかった。そのまま真琴はベッドに潜り込むと、俺と向かい合う。
「祐一も眠れなかったの?」
「ああ……」
「真琴も眠れなくて……ねぇ祐一?」
「ん?」
「あゆ……幸せなのかな──」
 それは俺も考えていた。……というか、さっきからそのことばかり考えていた。
「──ってことを考えてるんでしょ?」
「ぐあ……なんで分かった」
「だって祐一の考えることだもん、分かるよ」
 思わず動揺した隙をついて、俺に抱きついてくる。
「だから真琴達、幸せになろうねっ」
「え……え?」
 真琴の体の暖かさにさらに動揺したところに、そんな真琴の言葉。目の前にある真琴の顔を見つめる。
 ……よっぽど変な顔をしてたんだろうか? 真琴がおかしそうに笑う。
「きっと真琴達が幸せになって欲しいって、あゆも思ってるよっ」
「そりゃずいぶんと都合のいい解釈だな」
「だって……真琴もそうだったから」
 ぎゅっと俺にしがみつきながら、耳元で囁く。
「不安だったよ……祐一が幸せなのかなぁって」
 そうだったのか……。俺も真琴のことを抱きしめる。
「だから、きっとあゆもそう思ってるよ」
「そう……かな」
「そうだよっ」
「……ありがとう……真琴……少しは救われたよ……」
 そう言うと真琴はちょっと体を離して、得意そうな笑みを浮かべる。
「だってあゆに言われたもん、祐一を頼むって」
「ああ、そうだったな……律儀だな、お前も」
「狐は義理堅いのよっ」
 そういって笑う。そしてちょっと頬を染め、顔を近づける。
「でもこれは真琴がしたいからするんだからね──」
 唇に当たる、柔らかい感触。
 俺もそれに応え──。
 結局二人で眠りについたのは、それからもう少し時間が経ってからだった。

 夢。……夢なのか、これは……。
   「今日は夢を見なかったな」
    うぐぅ、配達が間に合わなかったよ〜
   「なんか中途半端な夢ねぇ」
    うぐぅ、後ろを無くしちゃったよ〜
   「げぇ、なんで男とあんなことしなきゃなんねーんだよ」
    うぐぅ、違う人の届けちゃったよ〜
   「なんかちぐはぐな夢じゃったなぁ」
    うぐぅ、再生順番間違えちゃったよ〜
   「なんで白黒なんだよぉ」
    うぐぅ、ボクのせいじゃないよ〜
 延々とそんな声が聞こえていた……。
 ……頑張れよ、あゆ。俺は応援しかできないけど……。

『朝〜、朝だよ〜』
 カチっ。
 目覚ましを止め、そのまま少しぼーっとする。
 ……ずいぶんと変な夢を見たな……。
「もう朝なのぉ」
 ごそごそとすぐ脇から、真琴も起き出す。
「あぅー、へんな夢見たぁ……」
「もしかして、一晩中うぐぅうぐぅ聞かされたのか?」
「え? 祐一も?」
「まったく……」
 顔に笑みが浮かぶ。悲しむ暇もないか。
「あゆって、かなり不器用ねぇ」
「まったく……ホントのコンビニだったら、一日でクビだな」
「あはは……天使もクビになってたりして」
「天使って、クビになるもんなのか?」
 自然に軽口が口に出る。サンキュー、あゆ、なんとかやってけそうだよ。……狙ってやったんじゃないだろうけど。
 それから真琴を自分の部屋に帰し、制服に着替える。帰りに真琴とたい焼きでも食べに行こうかな。そんなことを考えながら、いつも通り、名雪を起こす。……起きてこない。部屋の中を覗くと……いない。
 もう起きているのかな?
「あ────っ!」
 突然、一階からあがる叫び声。
 真琴かっ!
 一段抜かしで階段を下り、リビングに飛び込む。
「あ────っ!」
 俺も叫んでしまった。
 そこには、いつも通り笑顔で給仕する秋子さんと……いつも通り物体Xと化している名雪と……背中に羽を生やした女の子……。
「あ、祐一君っ! 天使、クビになっちゃたよっ」
 のんきに朝ご飯を食べているあゆの姿があった。
「あゆ!」
「うん、ボクだよ……祐一君、どうしたの?」
 無邪気に……本当に首を傾けるあゆ。
 プチっ
「どうしたのじゃ、なーい!」
 ゲンコツでこめかみをグリグリ。
「うぐぅ、痛い、痛いよ、祐一君!」
「祐一さん、暴力はいけないわ」
「祐一っ、ストップっストップっ!」
 …………。
 とりあえず落ち着くのに五分はかかった。ちなみに名雪は、こんな騒動の中も寝ている。さすがだ。
「で、なんであゆがここにいるんだ? 昨日あれだけ感動的に別れたのに」
「うぐぅ……天使を、クビになっちゃったんだよ……」
「まあ、それは残念でしたね」
 秋子さんは何も知らないはずなのに、頷いている。さすがだ……。
「原因は……やっぱり失敗が多かったからか」
「えっ、なんで知ってるの?」
「一晩中、お前がうぐぅうぐぅ言うのが聞こえてた」
「真琴も聞こえたよ」
「わたしも……だおー」
 名雪起きてたのか。……いや、寝てるな。さすがだ。
「やっぱり失敗連発とは……あゆあゆだけのことはあるな」
「うぐぅ、あゆあゆじゃないよ、それに失敗したのは、祐一君達のせいだよっ」
「え、真琴達のせい?」
 こく、と頷きながら、妙に顔を赤らめるあゆ。
「だって……見えたんだもん、昨日の夜の……二人」
「え……」
「あぅ?」
「あんなに激しく……」
「わ──っ、ストップ!」
「あぅーっ、恥ずかしいよぉっ」
「あらあら、若いわねぇ」
 やけに楽しそうな秋子さん。
「わたしも……だおー」
 すまん、こんどイチゴサンデー奢るからな、名雪。
 …………。
 落ち着くのにさらに五分はかかった。真琴もあゆも、多分俺も顔は真っ赤だが。とりあえず、話題を変える。
「で、クビになるとどうなるんだ?」
「天使をクビになると、地上に堕とされちゃうんだよ」
「……堕天使?」
「ふーん、そう呼ぶんだ。勉強になったよ」
 いや、本気で感心されても困るんだが……でもそうすると──。
「で、堕天使になるとどうなるんだ?」
「人間みたいに暮らさないといけないんだって」
「じゃあ……ずっと一緒に……いれるの?」
「うん。だから……よろしくねっ」
 そうか……よかった……のかな?
「でも……あゆは死んだことになってるし……どうやって暮らすんだ?」
「うぐぅ……考えてなかったよ……」
 表情を曇らせるあゆ。すると秋子さんがにっこりと微笑んで、助け船を出してくれた。
「ではうちで暮らしますか?」
「秋子さん……」
「秋子さん、いいんですか?」
 いつものようににっこりと笑って、一言。
「了承」
「だおー」
 名雪も賛成してくれてるし……いいのかな?
「うぐぅ、あの、迷惑じゃないかな?」
 上目遣いで、俺達を見るあゆ。
「なんだ、あゆらしくないな。朝ご飯は食べてるくせに」
「うぐぅ……だって……」
「全然そんなことないですよ」
「ありがとう……秋子さん……ボク……嬉しいよっ」
「じゃあ今日は一緒に遊ぼうね、あゆ!」
「うんっ! ありがとう、真琴ちゃん」
 そのまま、どこいこう、何しよう、という話が始まる。そんな二人を見て微笑んでいると、秋子さんが時計を指さす。
「もうこんな時間ですけど、大丈夫ですか?」
 全然大丈夫じゃなかった。
「ほら、名雪、早く起きろっ! じゃいってきます!」
「うにゅー、いってきます……」
「いってらっしゃい、二人とも」
「いってらっしゃーい、祐一っ、名雪っ」
「いってらっしゃいっ、祐一君、名雪さん」
 今日から始まる、五人の朝の挨拶。
 それはとっても好ましい感じなのであった。


−終−


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